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2017/10/01

使命に生きる―出し方はあり方を越えられない

物事には「あり方」と「出し方」がある。「あり方」は、存在意義や本質、あるいはその人の思想の根幹と言って良い。「出し方」は表現である故に手段であり、時々に変わっていく。一つのスタイルに固執する必要はない。ただ、大切なのは「出し方」は常に「あり方」に支配されており、「出し方」が「あり方」を超えることはできないという事実だ。この原則が崩れれば、単なる「ご都合主義」であり「日和見主義」になる。
かつて茂木さんと書いた「助けてと言える国へ」(新潮新書)の冒頭部にこんな対話がある。少々抜粋する。
【茂木】僕は他人に絶対にしない質問があって、それを世間の人が僕にするので驚いています。それは〝本業〟って言葉なんです。「奥田さん、本業は何ですか、牧師なんですか」と。僕もよく言われるのですが、すごい違和感がある。これは日本社会の病なんだと思う。ちなみに、本業を聞かれたら何て答えるんですか。【奥田】私は牧師と言いますが、講演会の多くはホームレス支援で呼ばれてます。私は本業というよりも〝使命〟という考え方をしています。色々な顔というか「出し方」があって、一つは牧師だし、一つはホームレス支援。でも、それを規定しているあり方「使命」みたいなものがある。ドイツ語で職業はベルーフです。ベルーフは元はルーフェンですから、英語ではコーリングです。【茂木】呼ばれているわけですね。【奥田】はい、召命です。神からの召命の結果が職業となる。日本は直接的に職業になってしまう。ルーフェンの部分がない。何のために生きるのかという議論もなく「本業は何ですか」から入ってしまう。本来聞くべきは、本業が何かではなく意味です。【茂木】仕事はしているけど、それに自分の存在を吸い取られていないというか、質入れしていないという人は魅力的です。【奥田】横ぐしみたいなものはやはりあった方がいい。ステージが幾つあってもいいが、自分が何者なのかという部分はどこかで持たないと崩れると思います。
職業は様々だが、「使命」は一つ。そんなことを茂木さんと議論した。「希望の党」が「民進党」を飲み込む。「使命」が一致している人々が「なかま」になることは当然のこと。だが「選挙は勝たないと意味はない」と「使命」を投げ捨て「公認」を取りに行くのなら、そこには「希望」はない。2015年の夏、「安保法制反対」と若者たちの前で熱弁した少なくない「おとなたち」は、選挙のために「安保法制賛成」に転じる。その点、小池さんや安倍さんはわかり易い。彼らは「平和憲法反対だ」と最初から言っている。だから、どっちが勝っても平和憲法は終わる。
政治家とは、力(武力)ではなく「言葉」に信頼を置く人だと思う。今回の選挙は、政権選択以前に「ことばに責任を持つ人」がどれだけいるかが問われている。「ともかく選挙に勝ってから」と考えている政治家は、「一旦自分のことばを裏切り、使命を捨てた」という認識だけは持ってほしい。聖書は言う。「はじめにことばがあった。このことばにいのちがあった」(ヨハネ福音書一章)。この国から、ことばに対する責任、信頼が消えようとしている。憂う。

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