ご利用のブラウザは、東八幡キリスト教会(URL)では非対応となっております。
ブラウザを最新版に更新してご覧下さい。

動作環境:Firefox,Chrome,IE9以降,Safari

 

2017/12/31

寅さんについて考える―第三回語り場BARにて その⑤(最終回)

「寅さんを考える」も最終回。社会からはみ出た存在が、あるいは罪人が、誰かを愛し誰かのために奔走する。当然上手くは行かず、家族は常に泣かされる。それでも寅は、寅として生き続ける。そこには、寅さんという「存在に対する絶対的肯定」が貫かれている。だが、現代社会はそんな男を認めない。「意味がある存在か」と問う。「生産性はどうか」と。私がこれまで出会ってきた「街場の寅さん」たちは、常に社会から厳しく問われた。私も「時代の子」だ。「お前には意味があるいのちか」と問われ、怯えている自分がいる。そんな時代にあって寅さんが生き続けること自体に意味があったと思う。
「男はつらいよ 第39作 寅次郎物語」のラストシーン。甥の満男が「人は何のために生きるのか」を寅さんに問う。「そんなぁ 難しいこと聞くなぁ 何て言うかな。生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるだろう。そのために人間生きてんじゃねえのかな」と寅は答える。「難しいこと考える前にともかく生きろ」と寅さんは言ったと思う。「よかったと思える日」は時々(何べんか)ある。だが、「それを確認できないと生きられない」というわけではない。「生きる」という「大事」からすれば「よかったと思える」は「小事」に過ぎない。人は生きる意味や資格があるから生きているのではないのだ。まず生きる。そうこうしていると「よかった」と思える日が来るだけだ。寅さんは、問題児であるにも拘わらず赦され生きていく。意味の有無が前提ではない。「存在に対する絶対的肯定」があるのみ。
日本において若者の死因のトップは「自殺」である。他の先進国では「事故死」。なぜ日本では「自死」なのか。「意味のあるいのち」と「意味の無いいのち」を分断する社会の中で、自らの存在を肯定できずにいる若者が増えているのだろう。
しかし寅さんは、どっこい生き続ける。諦めず生きる。完全でなくても良い。人に迷惑をかけても良い。寅さんを見よ!と。面白いのは、そんな寅さんが生き続けることで助かる人が出てくる。当然、泣かされる人もいるが・・・。「生産性?経済効率性?何のことだい?難しいこたあ 俺にはわかんねえなあ」と寅さんは言いながら、楽しそうに生きていく。みんなそんな寅さんが好きになる。いや、ホッとするのだ。そこには「存在に対する絶対的肯定」が貫かれているからだ。この安心感が寅さんの第一の魅力だと思う。
寅さんは言う。「たった一度の人生をどうしてそう粗末にしちまったんだ。お前は何の為に生きてきたんだ。なに?てめぇの事を棚に上げてる?当たり前じゃねえか。そうしなきゃこんなこと言えるか?」(同上39作)。キリスト者は、赦されて生きる道を選んだ。「善人」や「義人」に成ろうなどと考えていない。常に十字架のイエスに自分の罪の審きを見る。死ぬべき自分が赦され復活のいのちに与っているのだ。そんなキリスト者が「愛を!平和を!」と行動する。当然上手くいかない。罪人の運動に過ぎないからだ。それでも自分の事は棚に上げて愛に生きようともがく。だが「奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の日が落ちる」が生き続ける。これが寅さんであり、キリスト者なのである。
おわり

SHARE:

CONTACTお問い合わせ