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2025/08/31

8/31巻頭言「『ファースト・こっからここまで』―そんな基準は一瞬にして変わる」その③」

 政治学者の丸山真男は「現代における人間と政治」という文章の中でニーメラーの言葉を取り上げている。「ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。」(「現代における人間と政治」(1961年) 『丸山真男全集 九巻』26六頁)
 これは「ファースト」とは逆の話。つまりナチスが敵と見なし、攻撃した対象(枠組み)が次々と変更・拡大していった事実を示している。最初の敵は「共産主義者」だった。自分(ニーメラー)は「共産主義者」ではなかったので行動しなかった。次に「社会主義者」が攻撃された。やはり自分は「社会主義者」ではなかったので何もしなかった。次に、学校、新聞、ユダヤ人と次々と攻撃の的にされたがやはり何もしなかった。「自分ではない」と思っていたからだ。それからナチスは教会を攻撃した。自分(ニーメラー)はまさに教会人だった。しかしその時はすでに手遅れだった。1937年7月1日ニーメラーは逮捕された。そしてザクセンハウゼン強制収容所に送られた。上記の文章は、強制収容所を生き延びたニーメラーが戦後語ったものである。丸山は、ニーメラーの言葉を引用した上でこう書いている。「こうした苦痛の体験からニーメラーは『端初に抵抗せよ』、而(しか)して『結末を考えよ』というに二つの原則を引きだしたのである。」今の時代が「端初」でないことを祈りつつも私たちは慎重に現実を見つめるべきなのだ。
 ニーメラーの指摘もまた真なり。「日本人ファースト、だから自分は大丈夫」と安心しているが、そんな基準はいつでも変更されるかもしれない。「日本人ファースト」と言っても、そもそも「日本人」とは何をもって証明するのか。ナチスは「アーリア人種」の特徴として「金髪碧眼で長身」を持ち出した。だが金髪でも碧眼でも長身でもないドイツ人は多数存在する。さらに「アーリア人」の人種的証明のために祖先を1800年(親衛隊員の場合は1750年)まで遡って証明することを求めた。「日本人ファースト」を徹底するとそういうことになりかねない。
 「日本人ファースト」が強調される一方で「敵」が明確化される。巷ではヘイトスピーチデモが跋扈している。さらに国会議員などについて「帰化人」などという言葉も飛び交っている。「日本人ファースト」は、現在の国籍の問題でもないことがわかる。
 先に述べた終末期医療の自己負担についても、いつの間にか「健康な人ファースト」に置き換えられるかもしれない。「重い病気になった時点で若くても健康保険は使わず自分で払ってください」と言われる日が来る。今がその「端緒」でないとは言えない。
つづく

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