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2026/03/22

3/22 巻頭言「希望とは何か⑫ ―準備的態度」その①

(希望とは何かを再開します)
 ある日、知り合いの親父さんが「万馬券を当てた!」と喜んで報告に来られた。僕は競馬をやったことがないのでよくは知らないが百円の馬券が百倍を超える1万円以上になることを「万馬券」と言うらしい。長い付き合いの方で路上生活が続いている。極貧のさらに極みのような日々を過ごされているだけに「万馬券」は嬉しく、さぞかし助かったことだろう。「それはよかったね」と答えつつ「しかし、お金もないのにどうやって馬券を買ったのだろう」と疑問が湧いた。それで尋ねてみた。
 「馬券、そんなの買っとらんよ」と親父さんはあっさり答えられた。「あのな、当たり馬券を間違って捨てる奴が必ずいるんよ。競馬場で捨てられた馬券を拾う、一日中。すると時々当たり馬券を見つける。この間は万馬券を見つけたわけ」と誇らしげに親父さんは言った。ちなみに捨てられた馬券でも当たり馬券なら60日以内換金可能。しらんけど。調べてみると競馬場に入場するにもお金がかかる。それで僅かでも食べられる。それもあきらめ競馬場に行き一日中捨てられた馬券を探し続け、ついに探し当てたという。恐れ入る。「探し当てる」という言葉が何よりもふさわしい場面だ。
 「当たり馬券を捨てる人などいない」。多くの人はそう思う。僕もそう。そう思っている人は決して探さない。しかし、この方は信じて疑わない。だから探す。探し続ける。「必ずある」と信じているのだ。大半は上手くいかないだろうが、あきらめない。そんな「探し続ける人の姿」に「希望」を感じる。
 聖書のマルコによる福音書にこんな話がある。「よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」
 「山が海に入る?そんなことはない」。それが常識だ。疑わないで信じたとしても、そもそもそんなことは起こらないし、それをやる意味もない。いや、もしそんなことが起こったとしたらそれこそ「大災害」であって死者が出るかも知れない。では、イエスは何が言いたかったのか。それはあきらめが早すぎる私たちに対する励ましだったのだと思う。「信じていない人、そもそもそんなことは絶対に起きないと思っている人は、山に向かって海の中にはいれとは言わない。でも、たまには言ってみたらどうだ。あきらめないで言ってみたらどうだろう。君たちはあきらめ過ぎなんじゃないか」。イエスは、あきらめの達人となった私たちに「簡単にあきらめるな」と叱咤激励してくれていると思う。僕は、そう読みたい。イエスの言葉に親父さんの顔が浮かぶ。親父さんは真顔で「山よ、海の中にはいれ」と言っていたのだ。
つづく

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