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2025/12/07

12/7巻頭言「希望とは何か⑨―不可解性への耐性 その②」

 一方で「目的」がある。目的と目標は違う。なぜなら目的は「目標の先」に存在しているからだ。例えば就職という目標は達成した。しかし、まだ「先」がある。「何のために働くのか」。つまり「目的」である。「目的」は「分かり難い」。「目標」が「アウトプット」であるのに対して「目的」は「アウトカム」という言葉を使う。アウトカムは、「結果」や「成果」という意味で使われることが多いが私は「目的」と訳す。「アウトプット」と「アウトカム」は位相が違う。
 「あなたの人生の目的は何ですか」とか「あなたは何のために生きるのですか」という問いに容易に答えられる人は滅多にいない。これに簡単に答えれば答える程嘘っぽく聞こえてしまう。それが「目的」である。目的は深く、不可解。問い続け、考え続けるしかない事であって、人生の営みそのものだと言える。
 希望は「アウトカム」だと考える。ゆえに不可解で深い。希望と向き合うというのは不可解性との向き合いを意味する。性急に希望を見いだそうと無理をすると「希望みたいな」もの、つまり「希望もどき」を追いかけることになりかねない。だから希望を求める時は、短気を起こしてはならない。
だが今日、私たちは「不可解性」に耐えられなくなりつつある。時代の流れが速いこともある。コンピューターの登場、インターネット、さらに生成AI。聞けばすぐさま答えてくれる便利な時代となった。そもそも学校教育においては「必ず正解がある」と教えられてきた。テストでは「正解」はただ一つ存在し、それを的確に書くことが求められ、それに長けた人が「優秀」とされた。
 だが一旦社会に出ると世界はそう単純ではなかった。何が「正解」かわからない。そんな現実をさまよい歩く。「解ったら生きていける」などと考えていては生きていけない。「解らなくても生きる」。そんな生き方が必要だった。
 多くの人が不可解性に耐えきれず「解り易さ」を求めている。そこに付け込み「不可解な現実」が無いかのように「明確」で「解り易い答え」が飛び交う。ネットで話題となる「陰謀論」は「解かり易い」ことに特徴がある。その最たるものが戦争指導者だ。世界を善と悪に二分し相手の存在を許さない。戦争は善悪二元論であり、実に「わかり易い」。しかし、それがいのち取りになる。一旦深呼吸して落ち着いて考る。世界がそんな単純であるはずはない。どちらかが絶対に間違っていることも、どちらかが絶対に正しいこともない。あえて「絶対」というならば「戦争は絶対に間違っている」と言うべきであって「正しい戦争」など存在しない。ゆえに「問い」続けることが平和の道となる。

つづく

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