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2026/02/15

2/15 巻頭言「本当の王―尻馬に乗らないために」 最終回

(これは2026年の新年礼拝宣教の全文。希望シリーズは、終了後再開)
 イエスは、その自分たちの日常であり、家族であるロバにまたがり登場されました。しかも、その方こそが「新しい王」だと言われていました。民衆は、即座に分かったと思います。この新しい王が何を大切にしようとしているのかを。その姿が日々ロバと共に額に汗してつつましく生きる自分たちへのいたわりだと感じたのだと思います。
 先に触れたように「柔和」には、「貧しさ」、「痛めつけられた者のみじめさ」、「ふさわしくない」などの意味があります。しかし、貧しくとも、傷ついても、ふさわしくないと言われてもどっこい助け合って生きていく。それが民衆。ロバが象徴するのはそのような日常そのものだったのだと私は思います。さらにロバに乗るイエスの姿は、つつましく助け合って生きていく者たちこそが「本当の王」なのだということさえ感じさせたのではないかとも思います。
 私たちは、大きな声、大きな力、多くの金、圧倒的な軍事力に目を奪われてしまいます。「馬に乗る王」の姿に心が揺らぐのです。しかし、大切なのは日常の暮らしでありロバがいる日常なのです。だから、どんな立派な「馬に乗った王」が登場しようとも、決して「尻馬」に乗ってはいけないのです。しっかりと自分たちの日常、つまりロバに象徴される日々のくらしを大切にしたい。そこから世界を見なおし、何が大切で、何を失ってはいけないのかを見極めたいのです。誰が偽物の王で、誰が本当の王であるかを確かめたいのです。
 ちなみに「尻馬に乗る」とは、「自分の意見を持たず、他人の言動に無批判に便乗したり、軽率に同調・追従したりすることを意味する慣用句。先を行く馬の後ろに乗る(馬の後ろに二人乗りする)様子から来ており、主体性のない行動を指し、悪い意味で使われる慣用句」です。
午年のはじめに、気を引き締めて一年を始めたいと思います。決して尻馬に乗らない。立ち止まり一呼吸おいて歩み出したいと思います。
 最後になりましたが、馬には何の罪もありません。今日は、馬とロバを対比して語ってしまい、馬には大変申し訳ないと思っています。馬は軍馬だけではありません。人間のために働いてくれている馬もたくさんいます。馬が悪いのではなく、その馬に乗って威張っている人が、さらにその威張っている人の尻馬に乗ろうとする人々が問題なのです。
 ロバに乗るイエスの姿は、そんなものを求めなくてもあなた方の日常が何よりも素敵で大切なのだと私たちを励ましてくれているようです。この一年が平和で豊かな一年であるように祈りたいと思います。
おわり

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