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2022/05/08

5/8巻頭言「お前たちは、ケダモノになるな-沖縄復帰50年」

 2月24日。戦争が始まった時、私の中に響いていたのは「オバアたちのことば」だった。オバアのことばに押し出され「すべては神様がつくられた」は生まれた。
1995年9月4日、沖縄県に駐留するアメリカ兵3名が12歳の小学生女児を拉致し集団で暴行した。沖縄は大きな怒りと悲しみに包まれた。10月21日の県民総決起大会には85,000人が結集した。この怒りが日本全体のものとなっていたかは今も問われている。バプテスト連盟では米軍基地撤去や地位協定廃止などを日本政府に申し入れた。その時、官房長官に会見したのが森松協働牧師である。
 当時の日米地位協定では「起訴に至らなければ、関与が明らかでもアメリカ兵の身柄を日本側に引き渡すことができない」となっており、実行犯の引き渡しがなされなかった。それもあり一気に反米感情が高まったのだ。総決起集会の同月、日米政府は地位協定の「運用の改善」がなされた。合意は以下の通りである。「合衆国は、殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合に日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても好意的な考慮を払う」。ふざけるにもいい加減にしてもらいたい。犯罪捜査が「好意的な考慮」をしてもらわないと出来ないとはどういうことか。それが日米関係である。当然これは沖縄の問題ではない。主権国家の問題である。
 事件後、女性たちの抗議集会の様子が報道された。集会所に集まった女性たちは怒りの声を上げていた。少女が受けた傷。沖縄が背負わされてきた不条理。テレビの画面からも怒りが伝わってきた。27年前のことなので記憶は曖昧だが明確に覚えていることがある。集まったオバアたちが掲げた横断幕に「米兵よ、お前たちはケダモノになるな」と書かれていたことだ。私は、この言葉に「怒り」と共に、もう一つの叫び、いや「呼びかけ」があるように思えた。米兵がやったことは「ケダモノ」の仕業に他ならない。いや、それ以下だ。オバアたちは「お前たちはケダモノだ」と怒りの声を上げつつも、同時に「お前たちはケダモノになるな」と呼びかけていたと思う。オバアたちは言う。「お前たちは、ケダモノではない。人として生まれたのだ。母たちは、お前たちをそんなことをするために生んだのではない。ケダモノになるな。人として生きなさい。人の尊厳と誇りを捨ててはいけない」。あの日、震えるような怒りの奥に、そんな「呼びかけ」、あるいは「さとし」を聴いた気がした。オバアたちは「戻っておいで。そっちに行ってはいけない。それはケダモノの道だ」と言いたかったのだ。当然、赦せるはずはない。しかし、あのことばにはある意味「出口」というか「希望」が示唆されていた。
 絵本「すべては神様がつくられた」では、本来「人とは何か」について書いた。神様は世界を、自然を、そして人をなんのために創られたのか。ここにおける神様は、キリストさまでも、お釈迦様でも、アッラーさまでもなんでも良い。黒田さんは「僕は自然が神様です」と言う。それで良い。問題は、今の世界が「本来の世界」からずいぶんと「ズレ」てしまっていることだ。ロシア兵も、ウクライナ兵も、一旦立ち止まって考えてもらいたい。「人とは何か」を。いや、世界中が考えるべきなのだ。私たちは、ケダモノではないし、そんなことをするために生まれたのではないということを。「子どもたちよ、戻っておいで、私はそんなためにお前たちを創造したのではない」。オバアたちの嘆きに重なり、神様の嘆きが聴こえる。それでも世界がその声を聴く日は近いと私は信じている。だから、あの絵本のことばを書いたのだ。

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