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2025/10/26

10/26巻頭言「希望とは何か③―可変性への信頼その①」

 では、希望とは何か。第一に「可変性への信頼」だと考える。つまり、「絶対に変わらない」と多くの人が諦めたものが「それでも変わっていくこと」、あるいはそれを信じるということである。
 2019年秋、工藤会本部事務所跡地を引き受けるかどうか悩んでいた。しばしば跡地を訪ねた。周辺を散策していた。ひと気はなく、あちこちに空き地が広がり、閑散とした場所だった。2014年から福岡県警による「頂上作戦(工藤会壊滅作戦)」が開始されていた。本部事務所撤去は、その最終段階だと言える。全盛期1,000人ほどいた組員も現在は200名程度となった。だが、まだ200人いる。私一人ならともかく、NPOのスタッフ、その家族、ボランティアの方々、自立者などのことを考えると二の足を踏む。「何が起こるかわからない」という獏とした不安がよぎる。
 一方で「ここで止まってはいけない」という思いもあった。多数の組員が逮捕され、脱会する者も続出した。そして本部事務所は確かに更地となった。しかし、それは「マイナスをゼロに戻した」ということに留まるのではないか。さらに圧倒的で真逆と言えるような「変化」が必要なのではないか。そんな思いにさせられた。
 そもそも「かの地」は「諦観(あきらめ)の地」だと言えた。希望のまちを応援くださっている地域の方からこんな話を聞いた。「当時は、時々本部事務所に幹部が勢ぞろいする日があって、黒塗りの車が何台も勝手に私有地や店の駐車場に停められました。やりたい放題でした。そのことについて文句を言いに行ったのですが、翌朝、車庫の自宅のシャッターに弾痕があるのを見つけました。結局、警察にも言えず仕舞い。報復が怖かったから。正直、かかわらない方がいいということになりました。みんな『仕方ない』と諦めていたと思います。」本部事務所前の道路は通学路から外され、街灯はなかった。あの一角だけが取り残され、諦められた場所となっていた。
 だから、それでもなお「希望」があるというのなら、それは「変わる」ということで無ければならないと思う。「仕方ない」「どうにもならない」と多くの人が諦めた場所が「一新していく」。それが「希望」だと思う。
 抱樸の活動も「あきらめ」との闘いだった。支援を始めた頃、「ホームレスを支援しても無駄」と多くの人から言われたことを思い出す。「あの人達は好きでホームレスをしているだけでしょう」。「働きたくないからホームレスをしているんでしょう」、「三日やったら止められないって言うじゃないですか」。そんな「決めつけとあきらめ」が投げかけられていた。
 それでも私たちは、おにぎり、豚汁、ゆで卵を持ち、夜の街に出かけ一人一人を訪ねまわった。当然一筋縄ではいかない人が多かった。「放っておいてくれ」「もう、どうでもいいから」などと言葉が返ってくる。世間の「あの言葉」は事実なのか、そんな戸惑いも時に生じた。
つづく

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