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2025/11/09

11/9巻頭言「希望とは何か④―可変性への信頼その③」

 反対運動のリーダーの一人から声が上がった。「奥田さん。こんな『まとも』な人を連れてきてもダメですよ。ホームレスは、そもそもまともじゃない人ばかりでしょう。あなたのような人はいいんですよ」。会場から一瞬にして「そうだ、そうだ」という空気に包まれた。その時、西原さんが話し始められた。
 「『まとも』じゃないと言えば、私は『まとも』じゃなかったんです。私も同じです。10年野宿をし、誰とも交流をとっていませんでした。奥田さんたちがお弁当を持ってきてくれても『せからしい(うっとうしい)帰れ』と言っていました。その後、NPOの自立支援住宅に入ってからも3ヶ月は打ち解けることが出来ず誰とも話しませんでした。他人を信用することもできなくなっていました。でも、理事長はじめNPOの皆さんやボランティアの方々との交流の中で、私は変わったのです。あなたはそんな私を『まともな人』と言ってくださった。人は出会いによって変われるのです。それを信じて欲しいんです」。胸が熱くなった。涙が出た。住民は虚を突かれたのか再び静かになったが、しかし反対の旗が降ろされることはなかった。悔しかった。怒りも湧いた。しかし、私は確実にあの日「希望」を見た。その夜、西原さんと下別府さんとスタッフでやけ酒を朝まで飲んだのを覚えている。
 「決して変わらない」「どうせまともじゃない」。そんな風に多くの人が決めつけ、あきらめていた。2024年に日本財団が実施した「日本財団一八歳意識調査:国や社会に対する意識」では、自国の将来について「良くなる」と答えた日本の若者は全体の15パーセントに過ぎず、対象六か国中、最下位であった。
 しかし、それでも人は出会いの中で変わっていく。そのことを信じることができるのかが今問われている。希望とは、それを信じるか否かということだと思う。
 希望とは「可変性への信頼」である。すべての人が諦めたあの場所が、「怖い」と決めつけられたあの場所が、今後変わるか否か。それを信じ、寄付をし、参加された人がいた。そこに希望は現に存在する。それが希望なのだと思う。
つづく

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