IE ロゴ

ご利用のブラウザは、東八幡キリスト教会(URL)では非対応となっております。
ブラウザを最新版に更新してご覧下さい。

動作環境:Firefox, Chrome, IE9以降, Safari

 

2025/11/23

11/23巻頭言「希望とは何か⑦―生の絶対的価値 その②」

 「自立する」こと、つまり「変わっていくこと」にのみ価値を見出すことで私たちの中に「分断」が生じ始めていたのだ。それは、自立出来たか、出来なかったかという分断から始まり、仕舞いには「自立できた(変わることができた)良いホームレス」と「いつまでも自立出来ない(変わらない)悪いホームレス」に近い感覚さえ持つようになった。
 当然、そんなことを口に出して言ったことはないし、そのような対応をしたわけでもない。しかし、確かに私たちの中にそのような「感覚」が芽生え始めていたと思う。自立率などを気にし始めると、自立出来そうな人を優先的に支援するようになる。いわゆる「クリームスキミング(良いとこ取り)」である。「出来そうな人」をセレクトして支援する。自立達成率が上昇するのは当然だ。
 しかし、この違和感は「これでいい」とか、「仕方ない」では済まないところまで私たちを追い込んでいった。だから、私たちは、もう一つのテーマを語らざるを得なくなった。「人は変わらなくても生きる」である。「変わることができたら希望がある」や「変わることが出来ることに意味がある」ということは大事である。それは希望そのものだからだ。
 しかし、それだけではない。「変わることが出来なくても、生きていることに意味はある」。そう言い切ることから始めない限り、活動は分断を創り出す。能力主義、成果主義でいいのなら別に抱樸でそれを担う理由はない。ならぜなら、そんなことは社会に既にあふれているからだ。
 2004四年の「ホームレス自立支援センター北九州」の開所は、ホームレス状態にあった多くの人々に自立の道を拓いたが同時に分断も生んだ。そんな悶々とした日々の中で、「自立支援センター」の運営を続けるためにはもう一つの「施設」が必要だという考えが芽生え始めた。「いのちの家」構想である。
 それは「いのち」をテーマにした場所である。自立できたか、出来ないか。野宿であろうが、無かろうが、今日、生きている。それが何よりも先に確認され、喜ばれなければならない。「変わること」を目的とした場所が機能するためには、その前提として「いのちに意味がある」と言い切る場所が必要なのだ。「変わらなくても生きている。それ自体がすごいことなのだ」と言い切るための「家」。それが「いのちの家」である。
 「人は出会いによって変わる」と「人は変わらなくても生きる」。希望は、この逆説的な二つのテーマの間に緊張感を持ちつつ存在しなければならない。
つづく

SHARE:

お問い合わせCONTACT