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2018/05/20

5/20 巻頭言「もう一つの言論の自由」

 1987年5月3日朝日新聞阪神支局が襲撃され記者2名が死傷した。犯行声明を出した「赤報隊」は、朝日新聞のみならず、中曽根、竹下の両首相も脅迫。報道や言論を踏みにじる赦されざる事件であったが、犯人は捕まっていない。あれから30年が過ぎた。事態は良くはなっていないと思う。3年前には息子のことで私たち家族にも殺害予告が届いた。ヘイトスピーチは常態化し、ネット右翼がデマや誹謗中傷を垂れ流している。
 先日、朝日新聞労働組合の主催で「言論の自由を考える5・3集会」に呼ばれた。「言論の自由」は、憲法21条に規定されている。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」。民主主義国家の根本にかかわる条文である。この30年間で言論の自由は随分と侵害されたように思う。2013年秘密保護法が成立した。報道機関に対して権力が介入したと思われる事態も起こった。「報道の自由」に関する国際ランキングにおいて、日本は180ヶ国中67位。ちなみに独15位、英国41位、韓国43位、米国45位である。役人は権力者を恐れ、「忖度」に奔走し本音と証拠書類を隠す。
 しかし、言論の自由の侵害はそれだけではない。講演では「もう一つの言論の自由」について語った。ホームレスや困窮者においても「言論弾圧」は存在するのだ。私は、この30年で「助けてと言える自由」もまた侵害されたと考えている。2008年のリーマンショック後、若者のホームレスと出会うようになった。「助けと言っていいんだ」と呼びかけても、彼らは次のように答えていた。「『助けて』 と言っても、『何を甘えているんだ。君の努力が足りない。自己責任だ』と言われるだけだ」。自己責任論社会は、「人に頼ること」、あるいは「他人に迷惑をかけること」は、悪だと教え、結果、多くの若者が「助けて」と言えなくなった。
 1987年英国首相のサッチャーは、ある雑誌のインタビューにこのように答えている。「皆が自分の問題を社会に投げつけるのです。しかし社会というものはありません。個人だけが、男と女だけが、家族だけが存在するのです」。社会は存在しない、あるのは自己と身内の責任だけという彼女の主張は、「サッチャーニズム」と呼ばれその後、世界に広がっていった。阪神支局襲撃事件が同じ年に起こったのは、単なる偶然だろうか。
 「助けて」と言うことは、本来独りでは生きていけない人間が、人として生きることを取り戻すことである。「助けてと言える自由」が奪われると、私たちは人で無くなる。聖書は言う。神は、天地創造において「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」(創世記32章)と仰ったと。イエスは「互に愛し合いなさい」(ヨハネ13章)と教えられた。さらにイエスは、「わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ」(マタイ10章)と言われた。イエスが暗やみで私たちに伝えたこととは何か。私はそれが「助けてと言っていいんだ」ということだったと思う。その呼びかけに答えたいと思う。

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