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2017/09/10

生きる意味は何ですかと問う前に

講演会で「生きる意味は何ですか」との質問がでた。「そんな難しいことはあまり聞いてほしくない」というのが正直な気持ちだ。「人は何のために生きるのか」。これは東八幡キリスト教会「荒生田塾」のメインテーマである。東八幡キリスト教会は、この問いに対して「他者のために生きる」と答えようとしている。だが、あの講演会場で、その問いが出た時、実はこの問い自体に大きな違和感を覚えていた。何がそう思わせたのか。
講演テーマは、「いのちの分断される時代に」だった。相模原事件について話していたのだ。犯人の青年は、一九人の障がい者を「生きる意味のないいのち」として虐殺した。いのちに「意味のあるいのち」と「意味のないいのち」があると犯人は言いのけたが、そんなことは断じてない。私たちは「いのちに意味がある」と言い続けてきた。
「生きる意味は何ですか」という質問は大切な問いだと思う。しかし、この問いを考えるためには、まずもって、その前に言わねばならぬ事がある。それは「生きることに意味がある」という事実だ。「生きる意味は何か」という問いは「第二のことば」に過ぎない。「生きることに意味がある」という第一の言葉がない限り、その意味を問うことはできないのだ。いや、やってはいけないとさえ思う。なぜならば「生きる意味」を問い、それに答えることができれば生きることができるが、もし答えることができなければ「生きる意味はない」ことになり、ついには「意味がないなら死んだ方がいい」となるからだ。だから、まず「生きることに意味がある」とキチンと言って、その上で、「じゃあその意味は」、「何のために生きるのか」と問うのだ。この順番は極めて不可逆的な事柄でなければならない。
映画「男はつらいよ」の第三九作「男はつらいよ 寅次郎物語」にこんなシーンがある。甥の満男が「伯父さん。人間は何のために生きてんのかな」と寅さんに尋ねる。寅さんは「そんなぁ 難しいこと聞くなぁ 何て言うかな。ほら、あー 生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるだろう。そのために人間生きてんじゃねえのかな…」と答えた。このやり取りは絶妙だ。寅さんの答えには前提がある。それは、「その日」(生まれてきてよかったと思える日)を迎えるために、まずは生き続けることが前提となっているからだ。「何のために」を知るには、その前提が無くてはならない。
キリスト教は復活の宗教である。それは人は永遠のいのちを生きるということであり、生きることが前提となっている。死をも超えて人は生き続ける。キリスト教はそれほど強烈に「生きること」を前提としている。その中で、問い、惑い、時に安心するに過ぎない。イエスは言う。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」(ヨハネ福音書十一章)。「生きることに意味がある」。すべての問いは、この言葉を追い越すことはできない。

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