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人間に戻る日

今日、私は人間に戻りました」。おやじさんの顔は安堵の表情にあふれていた。しかし、その笑みが輝くほど前日までの絶望の闇がいかに深かったかが伺われた。Kさんは六十七歳。七年間の野宿生活を終え自立支援住宅に入居された。その日の第一声が「人間に戻りました」だった。

六十歳になったある日、建築会社の寮を追い出された。自分はまだまだ頑張れるという自信はあったが、会社は年齢を理由に彼を解雇した。数か月後野宿になっていた。「一番しんどかったのは空腹と襲撃でした」。あまりの空腹に草さえ食べた。「あれはとてもいただけません」とKさん。子どもによる襲撃。肉体的なつらさ以上に彼を苦しめたのは、孫のような子どもたちから「ごみ扱い」されることだった。尊厳もプライドもズタズタにされながら、それでもKさんは路上で生き延びた。「昨日までの私は、道端でゴミを漁っている犬とか猫、あれです、あれ。しかし、今日私は人間に戻ることができました」。

野宿状態の方々と共に歩んで二十年になる。今春「活動開始二十年記念集会」を催した。駆けつけてくださった方々は一様に困惑されていた。「おめでとう」と言っていいものかどうか。二十年間多くの方々によって支えられてきた。これは本当にありがたかった。しかしこの活動が二十年もの長きにわたり必要とされていることは決しておめでたくはない。「一日も早い解散を目指し今日から活動を始めます」。NPO法人発足時、理事長挨拶をこう締めくくった。この活動は根源的にそのような皮肉さを常に抱えている。

入居から半年。Kさんは自立支援プログラムに励み支援住宅を卒業。いよいよ地域生活を始められることに。半年前小さな紙袋ひとつで支援住宅に入居されたKさん。今やワゴン車一杯の家財を持っての引越しとなった。この日のKさんは笑顔だった。昼食時「今日は、俺が出す」と胸を張られた。思いがけない一言にうれしくなった。つらい野宿時代、自分のことで必死だった。周りのことなど考える余裕などない。犬猫とはそのような現実だ。ご馳走になった。いわしフライ定食、実にうまかった。

こんなときは遠慮しない。「お世話してもらったのだからそれぐらい当然」などということではない。自分を犬猫だと言い、実際食べ物も無く、野良犬のように路上をさ迷ったKさん。いつも一人ぼっち。自分の「エサ」は自分で確保する。さもなくば誰かから恵んでもらうしかない。「エサ」という表現は不適切だが、野宿の人々は総じて食事を「エサ」と呼んでいる。彼らの現実を示す言葉だ。

犬猫が決してしないこと、できないこととは何か。それは誰かにご馳走するということ。人間に戻ったKさんは僕らにごちそうして下さった。そう言えばイエスは、しょっちゅう誰かの家に上がりこんで客人となり、ご飯をよばれておられた。飼う者のいない羊のような五千人以上の腹ぺこの人々をたらふく食べさせたイエスが、他人の家で食べさせてもらう。なぜわざわざ……。イエスは、そんな風にご馳走に与ることによって彼らを人間に戻そうとしておられたのではなかろうか。「あなたは人間だ。もらいっぱなしの犬じゃない。あなたは今日人間に戻りなさい」と。その日、誇りと自信を有する人間へと戻されるのだ。

ゲッセマネで「祈ってほしい」と懇願されたイエス。しかし弟子たちは眠ってしまう。人間は弱い。しかし神は私たちに期待を込めて自ら弱き姿に留まり、懇願される。十字架において自ら小さき者となられた神は、「いと小さき者にしたのは、私にしたこと」と私たちを励ましてくださる。イエスは、最も弱き者の姿を通して私たちになすべき使命(ミッション)を与え、人間へと召される。マザー・テレサは言う。「キリストが、飢えた人、寂しい人、家のない子、住まいを捜し求める人などのいたましい姿に身をやつして、もう一度こられたのに、私達がキリストだと気づかなかったからなのです」。気づかないままでは人間に戻れない。神は、人に使命(ミッション)を与え、人は使命(ミッション)を果たす(誰かにごちそうする)ことによって人間に戻る。イエスは、いたましい姿をもって私たちに出会って下さる。こんな私たちからごちそうになるために。その日、私たちは人間に戻される。


いのちのことば 2009年10月号掲載

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奥田 知志
日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会 牧師、
NPO法人 北九州ホームレス支援機構理事長/代表

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