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2018/02/11

新年礼拝宣教 「『犬にやるな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである」 その⑥

では、イエスは何が言いたかったのか。全体の流れの中で見てみる。本日取り上げた聖書箇所マタイによる福音書七章六節の直後に続くのは、イエスの次のような言葉である。
マタイによる福音書7章7~11節「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」
ここにはスクラッチ―分断線はない。そして、本日の箇所の仮説と連続して読むと文意は通る。「『聖なるものを犬にやるな』と言われてきたことはあなたも聞いているところである。しかし、私はあなたがたに言う。求めれば与えられる。探せば見つかる。天の父は、求めてくる者に良いものを下さらないはずがあろうか」。何の違和感もない。いや、むしろイエスならばそう言ってくださるに違いないと思う。
さらに、本日の箇所(マタイによる福音書7章6節)の直前部分も見てみたい。有名な「ちりと梁」の箇所である。
マタイによる福音書七7章1~5節「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」
この「人を裁くな」というイエスの言葉の直後に、「聖なるものを犬にやるな」という「異邦人差別」の言葉が続くとは考え難い。ここにおいても上記の仮説との関連で読むと文意は通る。「人を裁くな。他人を裁くと自分も裁かれ、差別すると自分も差別される。ユダヤ人(教)指導者たちは、異邦人や私たちを『犬呼ばわり』している。『聖なるものを犬にやるな』と言っている。しかし、私は言う。求めなさい。父なる神が与えてくださる」。すっきりするではないか。
つづく

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