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2016/11/20

人は、なぜ学ぶのか

小さい頃、あまり勉強は好きではなかった。母は、結構な教育ママで良く漢字の書き取りをやらされた。それが嫌で風呂から上がってこないというささやかな抵抗を試みるも、のぼせて目は回るし、母は全く諦める様子もなく、毎度無駄な抵抗で終わった。母親には申し訳ないが、あまり結果は出なかった。ああ、一つだけ言えば、いかにして漢字の書き取りから逃れるか、どうしたら風呂に一時間以上入ることができるかについては結構真剣に考えたかな。

なぜ、人は勉強しなければならないのか。学ぶとは何か。教育哲学者であり教育者であった林竹二は、このように述べている。「学ぶということは、覚えこむこととは全くちがうことだ。学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、終ることのない過程に一歩ふみこむことである。一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないか。学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである」(『学ぶということ』)。確かにそうだ。何も変わっていないのなら、それは何も学んでいないことになる。人は、変わることができる。それは希望だ。では、人は学ぶことによってどのように変わるのか。何が変わるのか。

しばしば子どもたちによるホームレス襲撃事件が起こる。生笑一座で活躍中の松尾壽幸さんも繰り返しひどい襲撃を受けていた。石を投げられる、火のついた花火を投げ込まれる。「犯人」は、小学生だった。困った松尾さんは、ひとりで学校に出向き実情を訴える。教師は、この訴えをキチンと受け取り、その後襲撃は無くなったという。子どもたちは、知ること、学ぶことで確実に変わっていく。

しかし、なぜ子どもたちはホームレスを襲撃するのだろうか。それは「怖いから」だと思う。恐怖は、人を攻撃的にする。「何をやるかわからないから、やられる前にヤレ」と。では、なぜ、「怖い」のか。それは、単純で「わらからない」から。あるいは「知らない」から。人は、わからないもの、不可解なもの、不可思議なものに恐怖を覚える。「不可思議」には「異様なこと。怪しいこと」という意味がある。異様とか、怪しことは人を怖わがらせる。幽霊やお化けが怖いのは「わからない」から。わからないこと、知らないことが多いほど、人は怖がって生きることになる。

ここに勉強の意味が見出される。私たちは「怖いもの」を減らすために勉強する。きちんと学ぶことができた人は、林先生が言うように「変わること」ができる。学ぶとは「怖がる人から怖がらない人へ」と変わる営みだと言える。

勉強することを軽んじると世界は恐怖で満ち溢れる。そして攻撃的になり、ついには戦争を始めることになる。僕らはもっと勉強しなければならない。勉強しないと怖いことになる。

イエスは言う。「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう」(マタイ福音書一一章二九節)。学ぶことで私たちは、恐怖を無くし「魂に休みが与えられる」。だから、人は学び続けなければならない。分断の時代に生きる者は、互いにヘイト(憎悪)をたぎらせないために学び続ける。

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