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2023/12/31

12/31巻頭言「必要の風が吹く時―小倉昭和館復活」

昨年8月、映画館小倉昭和館が全焼した。衝撃だった。80年の歴史があり市民に愛された映画館は跡形もなく崩れ落ちた。焼け跡にたたずむ樋口館主が痛々しかった。悔しいだろう。悲しいだろう。僕の想像をはるかに超える苦難がそこにはあった。
昭和館には何度かシネトークで呼んでもらった。「素晴らしき世界」や「パブリック―図書館の奇跡」など抱樸の現場に通じる作品を上映し、その後トークをする。次は以前テレビで放映された抱樸のドキュメンタリーを「抱樸ナイト」と称して昭和館で上映できないかを相談していた(当然制作局のご了解を得て)矢先の火事となった。
あの日から1年4カ月。2023年12月19日。小倉昭和館は復活した。樋口館主!本当に頑張られたと思う。心から尊敬申し上げたい。それを祝うパーティが小倉のホテルであり出席した。
それにしてもなぜこの短期間に昭和館は復活できたのか。それが成立するためには三つの要件が必要だったと思う。第一に樋口館主という存在だ。あきらめない人がそこにいること。パーティの中で樋口館主は「誰もやらないなら私がやる」と語られていた。中村哲さんを思い出した。「誰もそこへ行かぬから我々がゆく。誰もしないから我々がする」。僕の背中を押し続けた中村さんの言葉。今日、そのことばを館主から聴いた。樋口さんは中村さんだ。
第二に応援する人々の存在。今日のパーティを見ていても実感するが、多くの人が応援された。志のある人には必ず一緒に苦労をいとわない人が現れる。
第三に「必要性」。これが一番大事で、時代や社会における必要性がそこにあるかということ。「真理契機」と言ってもいい。北九州というまちが昭和館を必要としていたということだ。どれだけ情熱を持った人がいたとしても、どれだけ応援する人がいても「必要の風」が吹かないと事柄は成立しない。昭和館にはそんな「必要の風」が吹いていると思う。暗い時代となった。戦争と紛争が影を落とす。火事の前、ウクライナとロシアの戦争が始まった時、名画「ひまわり」を上映したのが昭和館だった。大手の館ではできないことだ。闇が深まったこの時代に昭和館は復活した意味がある。使命があるのだ。つまり、映画を通して人を勇気づけ生きる希望を与えること。昭和館が今後上映する作品はそれに資する作品であってほしい。
ただ、今後はさらなる困難も加わるだろう。「やりたいこと」と思って始めたがそこに「必要の風」が吹くと自分の思いは脇に追いやられる。「必要の風」を受けた人は「やりたくなくてもやらねばならない」ということになる。「使命」が自分の思いを越えていく。個人の思いを超えた風が吹く時、それは歴史となる。でも大丈夫。そこに「必要」がある限りなんとかなる。中村さんがそうであったように。
昭和館の復活は僕にとって希望だ。僕も希望のまちを創ろうと思う。いろいろ難儀な事態になっている。予想を遥かに上回る予算。でも希望のまちは立つ。「必要」だから。樋口さんが先に道を示してくれた。中村さんはさらにその先を歩いている。僕も後を追おう。今日は元気をもらった。
パーティのあと小倉の武蔵で「希望のまち」の設計者である手塚さんと打ち合わせ(飲み会?)をしていた。隣りの部屋から樋口館主の声が聞こえた。隣りの部屋は昭和館の打ち上げ会場だった。ご縁を感じるなあ。よおおおし僕もがんばるぞおおお。

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