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2019/06/16

6/16巻頭言「『責任感のある父』で済ませないために―私たちは神の家族」その②

(この間の事件について書きました。次の本に緊急寄稿ということで載ります)
 家族を「社会的孤立」に向かわせるものは何でしょうか。それは、「迷惑は悪」という常識、あるいは道徳だと思います。逮捕されたお父さんは、取り調べにおいて「周囲に迷惑をかけてはいけないと思い長男を刺した」と語ったと言います。私は、父を子殺しに向かわせた「身内の責任感」が痛いのです。確かに「他人に迷惑をかけても良い」とは簡単に言えません。しかし、「他人に迷惑をかけるぐらいなら息子を殺そう」と思わせる社会の「空気」とはいったい何なのでしょうか。
ある専門家の方から「引きこもりは日本独自の現象である」と聞いたことがあります。しかし、海外にも社会参加が困難な人はいるはずです。それで、「何が日本独自なんですか」と尋ねると「家族が引き受け続けていること」だと教えていただきました。海外では、多くの場合、社会が引き受ける仕組みがあるというのです。
しかし、日本では「他人に迷惑をかけるな」という圧力の下、家族がすべてを引き受け続けて当然であると思われています。ただ、家族が脆弱化する今日において、もはやそれは「家族幻想」に過ぎないと言わざるを得ません。そもそも、すべてを自己や身内で済ませられるなら、社会も国家も無用となります。早急に「家族機能の社会化」に関する議論、つまり「多数の赤の他人が家族のように関わること」に関する議論を開始し、具体的な取り組みを進める必要があります。
「迷惑をかけてはいけない」と息子に手をかけたお父さんを考えると居たたまれない思いになります。しかし、あの決断を「正しい」と言ってはいけません。「親だから仕方ない」とか、ましてや「責任感のある立派な父」などと言ってはいけないのです。川崎の事件の後、「他人を殺すぐらいなら独りで死んでくれ」との発言が相次ぎ議論になりましたが、それと同じことだと思います。両者に共通するのは「社会が無い」ということです。すべてを「自己責任」で終わらせようしている。それが「独りで死ね」と言うことであり、「父親の責任」としてしまうことです。
孤立する家族は増え続けている。赤の他人である私に何ができるのかを問い続けたいと思います。NPO法人抱樸は、「家族機能」をいかにして「社会化」できるかを模索してきました。赤の他人が見舞い、赤の他人が看取り、赤の他人が葬儀をしています。痛ましい事件の一方で、そんなことが現に起こっているのも事実なのです。  つづく

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