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2019/06/09

6/9巻頭言「『責任感のある父』で済ませないために―私たちすべては神の家族」その①

(この間の事件について書きました。次の本に緊急寄稿ということで載ります)
1、二つの事件
 居たたまれない事件が続きました。2019年5月28日午前7時45分頃、川崎市の登戸駅付近の路上で、私立カリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生の児童や保護者らが男性に刺されました。6年生の女児と保護者の男性が死亡、その他16人が負傷しました。容疑者の51歳の男性は、その場で自死しており、事件の動機などは明らかになっていません。その後「長期ひきこもり状態だった」との報道が繰り返されました。
 その4日後、元農林水産省事務次官の父親が長男を刺殺する事件が起こりました。こちらも息子さんが「長期ひきこもり」状態だったとされています。逮捕後、父親は、「川崎の殺傷事件を知り、長男が人に危害を加えるかもしれないとも思った」という趣旨の供述をしていると伝えられています。衝撃的な二つの事件について、少し述べたいと思います。
2、「迷惑をかけてはいけない」
 私達は、冷静に考えなければなりません。私達は、どうすべきだったかを。ふたつの事件に共通するのは「ひきこもり(傾向)」、「社会的孤立」だとの報道が連日流されています。このような事件が起こる時、そのことを契機に今日の社会を考えることは必要です。しかし、「ひきこもり」や「社会的孤立」、あるいは「生い立ち」と実際に起こった事件とは直結しないと思います。両者には随分開きがあるように思います。これらのことを事件と安易に直結させてはいけないと思います。国の推計ではこれまでの「ひきこもり(39歳まで)」と「長期ひきこもり(64歳まで)」を合わせると110万人程度の人々が「ひきこもり状態にある」ということです。彼らに対して「犯罪者予備軍」のような偏見が生まれないように、私達は気を付けなければなりません。それぞれの事件の要因や個別性については裁判を慎重に見守りたい。
 「ひきこもり」や「社会的孤立」が話題になっていますが、それらを「個人」の問題としてのみ捉えてはいけないと思います。「ひきこもり」状態にある子どものほとんどが親元で暮らしています。そこには、ひきこもる本人と家族が存在します。息子は「社会的孤立状態」であったと報じられていますが、同時に父母もまた「孤立していた」と言えると思います。両親は、息子の事については誰にも相談できなかったのではないかと私は危惧しています。
 元事務次官(ことさらそれを強調する意味は全くありませんが)ならば、国の制度についてある程度知識があったでしょう。また、ひと声かければ周囲には動いてくれる人も少なくなかったと思います。しかし、このお父さんは「助けて」と言えなかったのです。元事務次官という立場(プライド)がそうさせたのかも知れません。しかし、それだけではないと思うのです。すでに常態化した「自己責任論社会」において、「身内の責任」もまた常態化しており、それは家族にとっては大きなプレッシャーとなっています。多くの家族が「助けて」と言えない孤立の中に置かれているのです。そういう無縁社会に生きたお父さんの苦悩を思います。                     つづく

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