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2020/02/09

2/9巻頭言「元旦礼拝宣教 『神の創造された世界とドブネズミ』」 最終回

2020年となりました。オリンピックイヤーを迎えました。その日のために日々鍛錬を続けるトップアスリートの活躍は、多くの人に感動を与えるに違いありません。かつて「スポ根ドラマ」に涙した私は、この夏の感動にひそかに期待を寄せています。ただ、オリンピックは、勝ち抜いた人だけが参加できる場であることは事実です。そこには選ばれし者のみが参加できます。しかし、そんな「競争の祭典」であるオリンピックにさえ、躊躇(ちゅうちょ)がありました。それは「参加することに意義がある」という言葉で示されます。この言葉は、第4回ロンドンオリンピック(1908)において、アメリカとイギリスとの対立が起こり、両国民の感情的対立が悪化していた時、教会のミサで語られた「オリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加すること」という言葉を、当時の IOC会長のクーベルタンがとりあげたと言われています。(「近代オリンピック100年の歩み」ベースボールマガジン社)
オリンピック好きの私ではありますが、分断、差別、ヘイトクライム(憎悪犯罪)にあふれる現在の日本社会の現実を踏まえると、私は、あえてこう言わねばならないだろうと思うのです。「参加することに意義があるに異議がある」。人生には、参加できない日もあります。どうしても戸に鍵をかけて引きこもらなければならない時があるのです。「参加しないと意味がない」。果たしてそうでしょうか。共生社会が課題となっています。共に生きることは重要です。人はひとりでは生きていけないからです。しかし、共生できていなくても生きている、存在しているだけで「はなはだ良い」と神様は喜んでくださっている。共生を強制することはできませんし、「すべてははなはだ良い」という普遍的宣言が共生の土台でない限り、共生も参加も虚しいと言わざるを得ません。
参加できなくても生きている。すべての存在は、それ自体に神が「良し」とされたかけがえのない価値がある。それを私達の思いで貶(おとし)めてはいけないのです。勝手に「ドブネズミ」と言って蔑んではいけないのです。
「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」。私達は、2020年をこの聖書の言葉をもって始めます。誰が、なんと言おうと、どんな変な名前が付けられようと、この神のことばを覆すことは出来ません。私達は、お互いを「はなはだ良い存在」として尊重したいと思います。少々騒がしい年となりますが、しかし、心を落ち着けて神の天地創造の思いをかみしめたいと思います。
新しい年に当たり、すべての人の上に神様の祝福がありますように。祈ります。

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