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2020/02/02

2/2巻頭言 「元旦礼拝宣教 『神の創造された世界とドブネズミ』」その5

3,天地創造における神の思い
そこで私は、そもそも神がこの世界を創造された時の思いとは何であったのかを確認しようと思います。つまり、私たちが勝手な「名づけ」の挙句、差別し、貶(おとし)めた世界とは何であったのかを知りたいのです。それを無視して何を言ったとしても、「それは君たちが勝手に言っていることに過ぎない」と神様から叱られるだろうと思うのです。
そこで旧約聖書創世記にある「天地創造の物語」を読みたいと思います。「俺は無神論者で神が天地を創ったなどロマンチストのたわごとだ」と思う人もいます。あるいは「すべては進化という必然的競争の結果だ」と考える人もいるでしょう。しかし、私は相当のロマンチストであり、おセンチ者でもありますので、神様が思いを込めてこの世界のすべてを創ってくださったと信じます。その方が幸せだと考えます。すべての事柄、出来事には、神の思い、すなわち愛がこめられていると信じるのです。私達の目にはどう映ろうとも、です。
創造物語は、一週間で世界が創造された創世記1章の物語と、人間の創造に中心をおく2章の物語があります。本日取り上げるのは1章の方です。
7日目、最終日に神は安息を取られますから、天地創造は6日間でなされます。その中で繰り返し、繰り返し「神は、見て良しとされた」と述べられています。6日間で6回、神はこの世界が「良い」ことを確認されたのです。そして、創造の終わりに「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」とされているわけです。これが、聖書が描く世界の真の姿でした。
そんな神は、自分の創った愛おしい存在が「ドブ」呼ばわりされ、「アンコだから、仕方ない」などと言われていることを悲しんでおられるはずです。神が「良い」、しかも「はなはだ良い」とされたものを、私たちが勝手に侮蔑することは許されません。聖書は、数千年にわたってその事実を私たちに示し続けているのですが、私たちはそれを忘れ「ドブ」だ、「アンコ」だ、「心失者」、「意味の無いいのち」と言い放っているのです。これはいかんと思います。
「すべての物は、はなはだ良かった」のです。「すべて」という、この普遍的な響きに私は感動します。この普遍的な価値を新しい年の始まりに確認したいと思います。揺らぐことのない神の宣言からこの一年を始めたいと思います。 
つづく

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