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2019/09/29

この間起こっている児童虐待事件の多くが引っ越し先で起こっている。目黒の事件も、千葉の事件も引っ越し後だった。なぜ、引っ越し後なのか。
先日、東京都目黒区の女の子の虐待事件の裁判が始まった。5歳の女の子が両親に虐待されて亡くなった事件。元々、香川県善通寺市で暮らしていた一家だが、移住した先で事件は起った。善通寺市に暮らしていた時、すでに警察や児相の介入があった。両親は5歳の子に朝4時から字の勉強をさせていた。この子が書いた大学ノートが事件後公開された。「パパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから もっともっと きょうよりかもっとできるようにするから もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじこはしません ゆるして きのうぜんぜんできなかったことこれまでまいにちやってきたことをなおす これまで どんだけ あほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからもうぜったいやらないかね ぜったいやくそくします」
 ゆるせない思いになる。テレビや新聞は、こぞってこの両親が「鬼親」のように報道している。しかし、気になることがいくつかある。第一は、東京への移住は一体何だったのかということだ。私は、「逃げた」のだと思う。警察の介入が必要な場合も確かにあるし強制的に家族を分離する必要も。しかし、一方で「追い詰めたのではないか」と思う。例えば、入居したのに家賃を支払わないおじさんがいて「お前どうして家賃払わないのだ!」と詰め寄るとホームレスに戻ってしまう。そうではなく、その人の横について「給料日からまだ3日しかないのになんでお金がないのかなあ」と問う。「いや、パチンコに行ってしまった」と当事者。「パチンコって、そんなに楽しいの」の問いに「いや、楽しくはないのだけれど、仕事から帰ってもやることがなくてねえ」と答える。こうなれば、こっちのもの。「だったら、一緒にボランティアをしましょう。面白いよ」と。ここまでくればなんとかなる。
「対峙型」ではなく「伴走型」のアプローチが必要なのだ。「何でこんなことになったのか」を一緒に考える。それが「伴走型支援」である。従来の支援が「問題解決」を目指してきたのに対して、「伴走型」は問題が解決しても、しなくても、「つながる」ことを目指す。だからこそ「断らない」ということが実現できる。繰り返すが、問題が解決できなくてもつながることが重要なのだ。つながりの中で人は安心して失敗することが出来る。失敗しない人生よりかは、失敗しても死なない人生でありたい。失敗する権利を人は持っている。
伴走型は専門職の課題ではない。地域で暮らす、すべての人々が知るべき「処し方」である。そして、つながりとは助けられたり助けたりという関係を意味し、その相互性を保持することで「健全に依存する」ことを可能にする。

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