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2021/09/12

9/12巻頭言「あれから三年―松ちゃん、会いたいよ その㉑」

実は、松ちゃんとは出所後、一年間お酒を飲まないという約束を交わしていた。でも相手は、「あの松ちゃん」だ。僕はと言えば、携帯電話(当時はガラケー)の蓋を開けたり閉めたり落ち着かない。「警察に電話してみるか」「いや、まだ早い」。弱気が顔を出す。待て待て、ここは信じて待つんだと、自分で自分を励ます。何より、松ちゃんが無事に帰ってきた時、慌てて探したとわかると本人がどう思うか心配だ。

その日もNHKの取材スタッフ(プロフェッショナル~仕事の流儀)は、朝から僕らのやり取りを収録していた。彼らも心配しているのが伝わるが、カメラは回り続けている。もう取材日は残されてなかった。明日にでも彼らは東京に帰っていく。・・・・『これって帰ってこないという結論の番組になるのかなあ。プロフェッショナル・仕事の流儀はじまって以来の「できませんでしたの回」になるのかなあ。となると最後の「プロフェッションナルとは」と聞かれたら、僕はどんな顔で、何と答えることになるのかなあ・・・・。でも、成功例だけが取り上げられるのもそれはそれで現実とは違うしなあ。

そんな余計なことが頭の中を支配する。時間だけが過ぎていった。『松ちゃああああん。どこ行ったんやああああああ』。

三時間経過。「探しに行かない」との決断が揺らぎ始める。いや、いや、これは松ちゃんとの勝負なのだ。ここで松ちゃんが新しい一歩を踏み出せるかどうか。僕のおせっかいは必要ない。松ちゃんは、ひとり考えていたはずだ。何が大切か。何をしなければならないか。だから、信じて待つしかない。待つしかない。『頑張れ!松ちゃん』と心の中で叫ぶ。同時『頑張れ、俺』と叫んでいた。

そして、四時間後。「ただいま」というあの懐かしい声が玄関に響いた。『おおおおお。松井さんやああああああ!たあああああ』。僕は確かに喜んだ。しかし、ここで小躍りして喜ぶわけには行かない。これは『当然のことで、これでなくては困る』からだ。

玄関に行くと小さな袋を下げた松ちゃんが立っていた。本当は抱きしめたい。放蕩息子を迎えた父親(聖書ルカによる福音書一五章)のように「死んでいたのに生きていた!いなくなったのに見つかった!」と。でも自重した。当り前のことを喜ぶと言う事は、松ちゃんを『できない人』と見ている証拠だ。これは支援者の悪癖だと言える。

とにもかくにも松ちゃんは帰ってきた。松ちゃんは、はにかみながら部屋に入ってきた。「どこにいったの」「古本屋」。その日、松ちゃん五木寛之の「戒厳令の夜」上下巻を買っていた。何で「戒厳令の夜」なのか良く解らないが、待っていた僕らは「戒厳令の昼」を数時間過ごしていた。

「どうせ、どっかに行ってしまったと思たんやろう」と松ちゃんは部屋に入るなり言う。『図星です』とは言えず、「いや、全然心配しなかったよ」と頑張って応える。「ほんとかな」と松ちゃんは誇らしげに笑う。「今日は、うれしいからお茶をいれてあげる」と僕は台所に向かう。NHKの座間味さんが「よかったですね」と声をかけた。思わず「よかった」と言う。「いや、当たり前なんだけどね」と言いつつも、これまでの松ちゃんからするとこれは『奇跡』に近いと思う。

つづく

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