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2020/11/29

11/29「電源の入らない携帯電話がつながる日―渋谷ホームレス女性殺害事件」その②

(先日東京渋谷で起きたホームレス女性の殺害事件についてWEB論座用として準備している原稿です。)
2、排除の町で―「最も醜いベンチ」で事件は起きた
最初にニュースが飛び込んできた時、映像にうつるベンチが事件の背景を物語っているように思えた。二人掛けの小さなベンチの真ん中に仕切りの「手すり」。多くの人は、この「手すり」に違和感を覚えない。しかし、ホームレスの現場を長く見てきた私には、このベンチが事件を象徴しているように映った。この手のベンチは、ここ20年ほどの間に全国に広がった。「横になれないように仕切りを付けたベンチ」は、ホームレス対策として設置されたベンチだ。人を拒絶する「最も醜いベンチ」は今も増え続けている。ベンチに仕切りが出来、公園の東屋の屋根は外された。駅の待合室は改札の中へと移された。居場所がない人々を何とか引き受けてきたこれらの場所は消えつつある。格差が広がり、困窮者が増え、ホームレスが顕在化したころから町は疲れた人が横になる場所を奪い始めた。
事件は「最も醜いベンチ」で起こった。最も小さくされた人を排除するそのベンチが殺害現場となった。「痛い思いをさせればあの場所からいなくなると思い殴った」。これが犯行の理由だった。ふざけるな、と言いたい。しかし、この言葉はここ数十年、日本中の町々が多かれ少なかれ、口にはしなくても考え「醜いベンチ」という非言語的な具象によって表出させた思いと符号する。犯人の後ろに共犯する社会が存在する。あの「最も醜いベンチ」はそれを物語っている。
「最も醜いベンチ」は、無言のまま「拒絶」の姿勢を示していた。犯人もまた、言葉もなく突如Oさんに襲った。野良犬を棒切れで追い払うかのように彼女は襲われた。言うまでもなくOさんは人間である。犯人が言葉を放棄したことはOさんを人間扱いしていない証しだと思う。同時に人間性の根幹である「言葉」や「対話」を放棄することで彼は、人であることを放棄したかのように私には見えた。
3、多くの人がOさんを知っていたのに
近所の人の証言によると「いつもバス停のいすで寝ていた。朝2時くらいに来て6時前には帰る。新宿の方向へ」というのがOさんの日々だったそうだ。一部の人は彼女の存在を認識していた。そして、彼女もまた町の人々を意識していた。
「朝2時から来て6時には帰る」。このような行動をとる野宿者は少なくない。深夜、町の人が寝静まった後にひっそり休息をとる。バスが来ない時間帯にバス停で休んでいたのは、人目を気にしているのみならず、なるべく迷惑にならないようにという思いがあったのだと思う。数時間、それが彼女の唯一の休息だったのだと「想像」する。

つづく

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