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2022/03/20

3/20巻頭言「絵本『すべては神様が創られた』―あとがき」

(絵本『すべては神様が創られた』は、数日で発行となります。先週の巻頭言と重なりますが、改めて発行の思いを書きます。)
 2022年2月24日ロシアがウクライナに侵攻しました。出口の見えない殺し合いが続いています。「日本人を含む志願兵がウクライナへ」の報道に、戦争とは人の思いを呑み込みつつ拡大するのだと改めて思わされました。「それは違う」と思いつつ「何ができるか」の答えは見えない。そんな数日が過ぎました。沈黙の中で「すべては神様が創られた」は生まれました。「ことばにどんな意味がある」、そう問われると戸惑う私のその先に黒田征太郎さんが微笑みながら絵を書いておられました。
私は貧困問題に取り組んできました。とにかく家や仕事を支援する。しかし、「自立達成」後のアパートで「ポツリたたずむ人」を見てきました。「自立」が「孤立」に終わる。問題は経済的困窮(ハウスレス)と社会的孤立(ホームレス)にあったのです。これを同時に解決する必要がありました。私は、この活動こそ「平和創り」だと考えてきました。人はなぜ戦場にいくのでしょう。誰も行きたくはないあの場所に、若者はなぜ向かうのか。どれだけハイテク兵器を駆使しても最後は歩兵が投入されます。人が人と対峙するのです。その現実は、戦場に行ってくれる人がいなければ戦争は出来ないことを示します。だから戦争をやりたい人は無理くり「食えない」状況をつくります。米国は1973年に徴兵制を終えましたが、その後もしばしば兵士を戦場に送り込んでいます。格差と貧困の大国が人を戦場へと供給できる。「貧しさ」は戦争遂行の第一要素だと言えます。
さらに「さびしさ」が戦争には欠かせない要素なのです。抱樸(ほうぼく)にたどり着く多くの若者が、自分の存在意義を見出せずに生きてきました。認めてもらいたい。必要とされたい。人として当然の心情です。それが叶わず「さびしい」思いを引きずりながら生きてきた。そんな時、国家が「名誉」を片手に「君の勇気が必要だ」と焚きつけます。しかし、そんな幻想的な意味付けに頼らずとも誰もが認められ、必要とされる社会があれば、誰が戦場に行くでしょう。ですから「貧しさ」と「さびしさ」との闘いが平和への道だと私は考えるのです。
戦争が始まったこの春、抱樸は新たな一歩を踏み出しました。「希望のまちプロジェクト」です。詳しくはHP(検索☞ほうぼく)をご覧ください。戦場に行く必要がなくなる「まち」。それが希望のまちであり、戦争に対する私たちなりの抵抗です。
戦争に良い戦争も悪い戦争もありません。戦争そのものが悪なのです。この機に乗じて核武装が必要などという妄言が出始めています。私たちはその道を二度と歩むことは出来ません。
絵本の収益は「戦争被害者」に充てられます。ウクライナ、ロシアの枠を超え、この戦争で傷つけられた人々に届けたいと思います。捧げられた寄付は、ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)を通して用いられます。最後に、構想から一カ月足らずで発行に至りました。ご協力くださった多くの方に感謝します。この絵本が人と人の思いをつなぐ役割を果たすことを願います。戦争が一日も早く終結し、世界が最も大切な事実に立ち帰ることを祈っています。

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