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2023/05/14

5/14巻頭言「ホームレス支援の素」  西日本新聞エッセイ その⑳

(西日本新聞でエッセイを書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
取材でホームレスの支援のきっかけを尋ねられることがある。誰に教わったのではない。試行錯誤やってきた。だが心当たりも無くはない。
僕はサラリーマン家庭に育った。高度経済成長期の会社員だった父は日々忙しくしていた。そんな父もクリスマスイブだけは家にいた。わが家は毎年「すき焼き」だった。丹前を着てクジラのベーコンをつまみに酒を飲んでいた父が「ともし(僕)、勝手口がごそごそいった。見ておいで」という。見に行くが何もない。「なにもないよ」と僕。しばらくしてまた父が「ごそごそいったぞ。見ておいで」。二度目に見に行くと僕と兄、二人分のサンタからのプレゼントが置かれていた。僕は興奮し「サンタが来た」とはしゃいだ。これがわが家のイブの光景だった。
小学四年生のイブ。夕刻迫る中、友達と遊んでいた僕は父が坂の下から登ってくるのを見つけた。大きな荷物を抱えている。「見てはいけない」と子ども心に感じた僕は隣家のブロック塀に隠れた。当時のブロック塀には模様のような穴がところどころ開いていた。そこから覗いていると父はそのまま家に入っていった。
そして「すき焼き」が始まった。一回目「見ておいで」、何もない。二回目に勝手口には父が抱えていた荷物が置かれていた。「サンタは父さんだ」。だが、僕は子どもの頃から気を遣う性格で「言ってはいけない」と思い「サンタが来た」といつも通りはしゃいで見せた。下手な演技はバレたようで翌年から父は直接プレゼントを渡すようになった。
これが僕の「社会的相続」である。父からだけではない。母、祖父母、友人、地域のおじちゃん、おばちゃん。たくさんの人からもらい続け成長した。そしてその「もらったもの」を次の誰かに手渡した。その先の一つがホームレスの方々だった。これが僕の「ホームレス支援の素」である。僕はたまたま恵まれたに過ぎない。そうでない人、子どもたちが大勢いる。希望のまちはだれもが相続を受ける場所にしたい。

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