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2020/01/19

1/19巻頭言 「元旦礼拝宣教 『神の創造された世界とドブネズミ』」その3

]この歌が世に出た頃、僕は釜ヶ崎に通う学生生活を送っていました。当時は、あまり授業に出なくても卒業できるいい時代でした。18歳の僕は、大学入学と同時に日本最大の日雇労働者の街、釜ヶ崎と出会いました。そんな日々の中で「リンダリンダ」がラジオから聞こえてきたのでした。釜ヶ崎のみならず、大阪市内の路上にはホームレス状態の人々があふれていました。毎日のように人が死んでいきます。「行路病死」。学校では習わない新しい言葉を現実が教えてくれました。一命を取り止め、あわよく入院できたとしても「釜病棟」と呼ばれる病棟に入れられます。それは、釜ヶ崎から搬送された労働者専用の病棟でした。明らかに一般病棟とは違う老朽化した施設。看護師も医師も「医療福祉関係者」とは違う雰囲気を漂わせていました。「ケタ落ち」という言葉を釜ヶ崎でよく耳にしました。それは「一桁違うぐらい悪い」という意味です。救急搬送されても「ケタ落ち病院」にたどり着くのがやっと。それが釜ヶ崎の労働者の現実でした。あれだけ路上で人が死んでも新聞には一切載りません。「釜のアンコがまた死んだ」で済まされる。ちなみに「アンコ」とは日雇労働者に対する「蔑称」です。海底に沈む魚のアンコウが語源という説がありますが、いずれにせよ「海底のアンコウ」のごとき最底辺にいる人々の現実とそれを世間が見向きもしない現実が混在した言葉として僕には聞こえました。「所詮アンコだろう」「そもそもホームレスになった奴が悪い」というのが、社会の本音だったと思います。アンコもまた、ドブネズミ同様に、誰かによって付けられた名前だったと思います。
しかし、私は18歳からの6年間の釜ヶ崎通いの中で、実に豊かに多くの事を学びました。人のつながりの大切さ、働くということの誇り、不条理に対する怒り、人のはかなさ、人の弱さ、さらに必死に生きようとする人間の美しさ、人の優しさ、あたたかさ。
時々、釜ヶ崎から日雇仕事にも出かけました。社会経験のためと言えば恰好も付きますが、本当のところは貧乏学生の小遣い稼ぎに過ぎませんでした。「足元を見られる」と言われますが、まさにその通りで、仕事に行こうとすると履物で学生であることがバレます。すると日当を値切られるわけです。ただ、値切られても当然で学生の私は現場では足手まといに過ぎませんでした。スコップには「角スコ」と「丸スコ」というのがあって、(というか、そんなことも知らないで建築現場に行っていたこと自体大変恥ずかしいことでしたが)、四角い形の「角スコ」は砂や土を運ぶのに使い、「丸スコ」は、先のとがった丸みのあるスコップで、主に穴を掘る時に使いま す。                               
つづく

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