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2020/01/26

1/26巻頭言「元旦礼拝宣教 『神の創造された世界とドブネズミ』」その4

溝を掘るという工事現場に行った日、U字溝を埋設するために「升」用の穴を掘るように指示されました。溝の方向を変えるために角に「四角い升」を埋め込み、そこで溝の方向を変えるわけです。正方形の穴を掘らねばなりませんが、これが出来ない。「丸スコ」では、どうしても角がとれず、穴は楕円に広がっていきました。悪戦苦闘していると、一緒に現場に来た親父さんが「何やってんねん。学生邪魔や。あっち行け」と怒鳴ってきます。そして、その親父さんは、見事に「丸スコ」で正方形の穴を掘られました。思わず「すごい!」と驚嘆すると「俺は仕事師やからなあ」と親父さん。
一日が終わり日当を受け取り、帰ろうとした時、その親父さんが「おい学生。お疲れ。一杯行くか」と誘ってくれました。それで二人で飲みに行き、穴の掘り方、仕事の仕方、それから親父さんの身の上話など、しみじみ聞かせていただきました。別れ際「学生、懲りずにまた来いよ」と声をかけてくれました。二人分の飲み代を払ったのはその親父さんで、その日一日の日当は、ほぼ無くなったのでした。
世間は「釜のアンコ」と蔑んでいましたが、当時の僕は親父さんのカッコ良さに憧れたものでした。そんな僕に「リンダリンダ」が響いたのでした。「アンコ」のどこがわるい。「アンコ」の何が違う。「アンコ」の美しさを知っているか。「アンコ」のやさしさ、あたたかさが解るか。甲本ヒロトのシャウトする「ドブネズミ」は、そのまま「アンコ」に変換されて、僕の心に届いたのでした。
あれから30年以上が経ち、この国では、人を「ドブネズミ」呼ばわりすることが増えたように思います。社会の分断、人と人との分断は増々深刻な状態となりつつあります。世界は、再び対立の中に置かれています。自国をファーストと言う指導者は、当然の帰結として他国の人を蔑むようになります。2016年7月、「障害者は生きる意味のないいのち」と断言した青年によって19人が殺され、26人が重軽傷を負うという事件が起きました。犯人の青年は、重い障害のある人を「不幸を作りだす」と言い、特に言葉でコミュニケーションできない人に「心失者」という名をつけ殺しました。
殺人までには及んでおらずとも、そのようなことは、今日日本社会の少なくない場面で見受けられるようになっているのではないか。私は、心配になります。傲慢で、卑劣な名づけが横行しています。「あいつはドブネズミだ」、「あいつはアンコだ」、「あいつは心失者だ」、「あいつは外人だ」「あいつは朝鮮だ」「あいつは役立たずだ」「あいつは迷惑だ」。そんな言葉を聴くたびに、心がえぐられるような思いになります。それでいいのか。そんな勝手な「名付け」を許してはいけないと思います。そうではなく、「ドブネズミ」と侮蔑された人々が持つ「やさしさ」「あたたかさ」、写真には写らない「美しさ」を私たちはどうしたら知ることが出来るのでしょうか。
つづく

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